2007年01月31日

謎の地底王国アガルタ 1

中央アジアのどこかには、アガルタという地底王国があると言われている。その地底王国は、紀元前より存在していると言う。

これまで、その場所を巡って様々な憶測がなされてきた。ある人は、アガルタは、荒涼たる砂漠の中にあると言い、ある人は、人跡未踏の山脈にあると言う。しかも、その地下王国は、蜘蛛の巣のように張り巡らされた地下のトンネルで、地球のありとあらゆる場所につながり、世界を一巡していると言われているのである。
 この地下の巨大な連絡網は、聖なる輪と呼ばれており、まことに、雄大なもので、インカ帝国のあった南米を中心に、一方は北米に、また、海の下を通って、灼熱のアフリカのサハラ砂漠を横断して、カッパドキアの地下都市を経由して、アジアにまで到達しているというものである。まさしく、これは、総延長何万キロにもおよぶ想像を絶する規模なのである。

 アガルタの首都は、シャンバラと言い、夢のような理想郷だと言われている。その都の中央には、水晶や真珠、金銀など美しい宝石で彩られた輝くばかりの黄金宮殿があり、シャンバラ全体は、宮殿の放つクリスタルの神秘のパワーに満ちているのである。そこには、苦もなく犯罪も一切なく、慈愛と平和だけが満たされている。
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2007年01月29日

マタギの心

マタギというものは山を歩いて、常に自然と言うものを見てきたんだよな。誰に頼まれたわけじゃない。俺は自分の生きかたとしてマタギをはじめたからな・・・だから、俺達マタギはね、欲というものを本当に諌める力を持たないとダメなんだ。これは自然の中ではとても大事なことなんだ。人間と言うものは欲そのものだからな。その欲に振り回されて、欲に溺れてしまうからな。それを諌める力というものが無ければ、自然の中で生きてはいけないって事を、マタギはまず学ぶ。先輩達からも山からも学ぶ。それが出来ないと、村は続いていかない、これ本当なんだよ。あんた達若い人には、分かるか分からないかわからんが、本当なんだ。自然は無限じゃないんだよ。

 特に今の時代というのは、山の木をドンドン伐採するでしょ?国有林でも何でも雑木のまま放っておけばいいのに、それをわざわざ金と手間をかけて伐採して二束三文にしかならねぇような杉ばかり植えるんだものなぁ。それにあれだね、今はスキー場だとかなんとかで山でも海でも、やたらと手をかけていじくるもんな。冗談じゃないよ!俺達人間の遊ぶところを作るよりも、動物だの鳥だのが遊べるところを、いっぱい作ってやったほうがいいに決まってる。そういう場所なら、一銭もかからねぇ。放っておけばそうなるものさ。とにかく阿仁でも、もう昔のような形での猟はできなくなってしまった。山の獣も育てながら、増えた分を分けてもらうという形にしていかないと、続かないさ。もっともマタギというのは、そういうことをうるさく言ってきたんだけども・・・
タグ:マタギ
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2007年01月28日

アララト山と富士を結ぶ点と線

西の高天原「阿間都洲」はアルメニアか? 私がこう考える理由の一つに、アルメニア地方を代表する一つの「聖なる山」の存在があります。その名をアララトと言います。
アララト山。標高5,165mの大アララト(写真左側)と、3,925mの小アララト(写真右側)の2峰からなるコニーデ型(成層・円錐)火山。『旧約聖書』「創世記」に「ノアの箱船」が漂着したと伝えられる聖山で、この山を中心とした地域を古来よりアルメニアと呼んでいます。この山は万年雪を頂き、トルコ・アルメニア・イラン等の国境地帯に隣接する為(現在はトルコ領)、現在でも入山が厳しく制限されています。このアララト山をご覧になって、皆さんは何か感じませんでしょうか? 周囲の風景を取り除いてみると・・・そう、あの霊峰・富士と見紛う程そっくりなのです。

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万年雪を頂く聖なる山・アララト  『旧約聖書』に「ノアの箱船」が漂着したと伝えられる

富士山。標高3,776m(剣ヶ峰)、山梨(ピークは白山岳 3,756m)・静岡(ピークは剣ヶ峰 3,776m)両県にまたがる日本の最高峰。アララト山と同様のコニーデ型火山で、山頂・山麓間の標高差では世界最大規模を誇っています。


これら二つの山がなぜ、かくも似ているのか? コニーデ型火山だからと言えば、それ迄ですが、その他にも、



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日本を代表する霊峰・富士  かつてその麓には壮麗な神都があったと伝えられる



アララト山は「ノアの箱船」の漂着地として、富士山は富士浅間神社の「御神体」として、両者共、古くから信仰の対象として崇拝されてきた。
アララト山と麓の都市(地名が分からない)の組み合わせは、富士山と麓の富士宮市(静岡県)の組み合わせと瓜二つと言って良い程、風景が似ている。
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2007年01月27日

古代の神々に呼びかけた真相の謎

ナスカの地上絵
地上絵の存在が明らかになったのは、1927年だった。ペルーの測量チームが、ナスカ高原上空を飛行中、眼下の砂漠に奇妙な絵が描かれているのを発見したのである。

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 その時、彼らは、思わず自分たちの目を疑ったであろう。そこには、見渡す限り、巨大な動物や植物を描いた絵など、また、わけのわからぬ奇妙な図形で覆い尽くされていたからである。

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今日までに確認されただけでも、ハチドリ、クモ、サル、キツネ、シャチ、コンドル、トカゲ、宇宙飛行士のような人間など動植物を描いた絵が約30個、1万3千本を超える滑走路のような幾何学図形や、数10キロにわたる直線が約300本以上認められている。

 そして、これらの巨大な絵や図形の大きさは全長100メートル以上にも及び、地上からでは絶対に判別出来ないものである。

 これらの地上絵は、今から、1500年から3000年前に描かれたものと考えられている。ナスカ平原は、錆びた鉄塊のような細かい石が敷き詰められた場所の不毛地帯で、年間の雨量がわずか5ミリという、ほとんど雨が降らない超乾燥エリアなのである。
 このような気象条件が1万年以上に渡って続いてきたために、これほど長大な年月の間、地上絵が消滅もせず存続してきたと考えられている。
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2007年01月26日

アラハバキ

日本各地には、小さな社として、あるいは末社としてアラハバキを祀る神社がある。
民俗学においては、アラハバキ神はどのように理解されているのであろうか。

天孫民族が、我国に渡来せぬ以前に、先住民族によって祭られた神。


天孫渡来後において、天孫民族以外の異民族によって祭られた神が、年時の推移によって、天孫民族の祭った神に取って代られる場合。


同じ天孫民族が祭った神が、何等かの理由によって、他の天孫民族系の神と変更される場合。


先住民族と後来の民族の交替がおこたわれたという考えに立ってみれば、客人神となったアラハバキ神とは、母屋にいた神が追い出されて自分の家の庇を借りるような形で生きながらえている神といえることができるであろう。


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2007年01月25日

古代に舞い降りた神々の正体

はるか古代に超高空から地球を眼下に望む? そんなことが出来るだろうか?
 しかし、そうとも考えないことには理屈に合わない不可思議な遺跡が数多く報告されているのである。

また、ある遺跡では、宇宙船らしき乗り物のコクピットを描いたような壁画が発見されている。

1835年、トルコのイスタンブールのトプカプ宮殿というところで一枚の古い地図が発見された。それは、16世紀の頃のピリ提督の所有物で、提督はオリエントのどこかで手に入れたものとされている。

 この地図は、驚くべきことにヨーロッパ、地中海、アフリカの海岸線がきちんと描かれていることは言うに及ばず、この当時に発見されたばかりの南北新大陸の位置が正確に表示されており、発行当時は知られていないアマゾン川やオリノコ川が描かれていた。

特にアマゾン川は、河口やデルタまでもが正確に記入されていた。
 その後、科学技術が進歩するにつれて、この地図に隠されたショッキングな事実が次々と明るみに出始めた。

まず、20世紀中頃、音響探知機によって初めてその存在が知られた南極大陸の山脈の位置までもが記入されていたのである。

南極大陸の厚い万年氷に覆われた山々は、今日でも音響探知機なくして、その全景を表すことは不可能である。

 そして、きわめつけとして、この地図は、かなりの高度から撮影された写真を元に制作されたとしか思えぬ特徴を含んでいた。


1835年にトプカプ宮殿で発見された古地図

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高度8000キロ上空からレンズを通して、地球を見るとこのようになる続きを読む
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2007年01月24日

九戸政実

九戸政実は武将としての器量に優れており、九戸氏は政実の代に勢力を大幅に広げ、南部氏宗家に匹敵する勢力を築いた。

その立場は南部氏宗家から自立した大名ではなく、その家臣三戸南部氏の家臣であったと一般には認識されている。

しかしながら、中央の室町幕府の認識はあくまでも独立した大名であり、南部氏と共同歩調を取っている勢力として九戸氏を見ている。

事実1563年に足利義輝が室町幕府諸役人の名前を書き出た資料の中にも南部晴政と並んで九戸政実が記入されている。

以上のことから、九戸氏と南部氏の関係は、従来言われるような主従関係ではなく、国人同士の対等同盟というべきであろう

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九戸城跡


1582年、南部晴政が病死すると南部氏は晴政の養子・信直と実子・晴継の後継者を巡る激しい家督争いが始まることとなる。

晴政の跡は、実子の晴継が継いだが、父の葬儀の終了後、三戸城に帰城する際に暗殺されてしまう(病死説有り)。

急遽南部一族や重臣が一堂に会し大評定が行われた。後継者としては、南部
晴政の養嗣子でもあった南部信直と、一族で最有力勢力の九戸政実の弟で、南部晴政の娘婿である九戸実親が候補に挙げられた。評定では九戸実親を推す空気が強かったが、北信愛が事前に八戸政栄を調略し、結局は南部信直が後継者となることが決定する。

九戸政実としては、恩有る南部宗家を晴継暗殺の容疑者である南部信直が継いだことに大きな不満を抱き、自領へと帰還することとなる。続きを読む
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2007年01月23日

ノアの箱舟

旧約聖書の中の話や神話や伝説が、全くの寓話、作り話でない証拠に近年、神話や伝説がもとで、様々な歴史的発見がなされているのは周知の事実である。こう考えれば、「ギルガメッシュ」に記された大洪水の話は、この地方でよく氾濫を繰り返したチグリスとユーフラテス川の洪水による大惨事とだぶってくるのは否めない。

 そして、この忌わしい大洪水の記憶が、受け継がれ変形されて、ノアの箱舟伝説になっていったと考えられるのである。大洪水は、聖書に描かれているような規模ではなかったものの、人々の心に凄まじい恐怖を植えつけることは出来たはずだ。

1953年には、ヘリコプターのアメリカ人パイロットが、アララト山の斜面に巨大な箱舟の跡を発見し、30メートル上空から鮮明な写真を撮っている。

 1956年には、フランスの探検隊が、アララト山の氷河と氷湖の間で、巨大なL字型の船の竜骨を発掘した。


 さらに、1969年には、今度はアメリカの探険隊が、氷河の中からその一部を持ち帰ることに成功した。専門家が炭素による年代測定を行ったところ、紀元前3千年頃の木材であり、化石化していたことが判明した。
 その後も、探険は何回か行われ、ある時は、何も発見することなく空しく終わることもあったが、中には、決死的覚悟でノアの箱舟の一部と思われるものを持ち帰った探検隊もあった。

 なにせ、大部分は、電動ノコも全く寄せつけぬ氷層下にあるため調査は難航しているということである。ある探検隊は、地中レーダーを使ったこともあったが、その結果、分厚い氷層下にあるそれは、糸杉でつくられた紀元前3千〜4千年ほど前の巨大構造物であり、竜骨、柱、リベット、イカリらしきものも確認されたと報告している。
 人工衛星からの画像からも、巨大な影が捉えられたこともある。それによるとその構造物の形は、旧約聖書に出てくる箱舟のようなシルエットであり、これは、1965年にロンドンのディリー・テレグラフ紙に発表されて、一大センセーショナルを巻き起こした。

 この画像によると、箱舟の大きさは、全長150メートル、幅24メートル、高さ15メートルにおよぶ巨船ではなかったかと推定されている。これは豪華客船クイーン・メアリー号の3/2に匹敵する規模である。しかも、このサイズは、神がノアに箱舟をつくる際、命じた寸法とほぼ同じなのである。
詳細は、今後の調査を待たねばならないが、聖書の世界だけの幻象と考えられてきたノアの箱舟が、過去に実際起きた事実に基づくものであったならば、我々の持つ既存の認識に大衝撃をもたらすであろう。
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2007年01月22日

邪馬台国の卑弥呼 1

紀元3世紀頃、その頃中国は4百年間も支配し続けた漢が滅亡し、代わりに魏、呉、蜀という三つの強国があらわれ中国全土を分割し互いに覇を競い合う時代になっていた。世に言う三国志の時代である。

つまり、ありとあらゆる知謀が駆使されて駆け引きや決戦が行われ、英雄が多数あらわれたロマン溢れる時代でもあった。


 こうした中国の動静は三国志という記録書に詳しい。その中に当時の日本の様子を描いたと思われる記述が出て来るくだりがある。

その2千文字ほどの記述箇所は魏志倭人伝と呼ばれ、今日、我々はそれによってこの頃の古代日本がどのような状態にあったのかをうかがい知ることが出来るのだ。
 

ところが、どうしたことか日本の古代史をあらわしたとされる我国最古の記録書、古事記や日本書紀には、邪馬台国や卑弥呼の記述は一切見当たらないのである。

つまり、中国側のこうした記録がもしなかったなら、日本の古代史に邪馬台国や女王卑弥呼などは存在すらしていなかったことになってしまうのだ。

では、中国側の記録によれば、その頃の古代日本はどういう状態だったのだろうか?
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古代バビロニアの電池

中東のイラク、クジュトラブアの丘にある約2000年前の古代パルティア遺跡から1937年に発掘された陶製の壷とその中の物体。その構造から太古の花瓶型電池といわれている。
1970年に(当時)西ドイツの考古学者アールネ・エッゲブレヒト博士が、この電池のレプリカを作り、電気分解による金メッキ実験を行い見事に成功している。同じく遺跡から発掘された出土品の中にはエレクトロン合金(*注)でメッキしたものもあり、古代の電気技術の確かさが証明されている、とも言われている。

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2007年01月20日

アショカ王の錆びない鉄柱

千数百年以上風雨にさらされていても全く錆びていないという不思議な鉄で出来たものである。考古学的にいうと古代の遺跡からは石器、土器や青銅器といったものはおおよそ作られた形状をある程度残しているため出土しやすく、発見される事も多く研究も進んでいる。

しかし鉄で作られたものは長い時間空気にさらされているため酸化してしまい、ものはほとんど残らずあったとしてもその残りから全てを推測するのは他のものと比べて非常に難しい。

tower.jpg続きを読む
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2007年01月19日

コスタリカ巨大石球

1930年代にコスタリカのディキス川周辺で200個以上発見された石球群。これらは、紀西暦300年〜1500年頃のものであるとされている。

石球の大きさは直径2、3cm程の物から最大で2.6m、重さ25トンに至る物まで千差万別。そしてこれらの石球がオーパーツとされる最大の特徴は、石球がなんと限りなく「真球」に近いという点にある。

実は、完璧な球体である「真球」を作るのは現代の技術でも非常に困難であるという。

人工的に真球を作ることが出来るようになったのは1990年代、コンピューター制御によるハイテクマシンが開発されてからだが、こうしたコンピューターを用いたとしても完全な「真球」を作ることが出来るのは直径1mまで。コスタリカで発見されたような直径2mにも及ぶ石球を作ろうとした場合、誤差が生じてしまうという。

つまり、当時の技術でこれほど巨大な「真球」を作ることが出来たとは極めて考えにくいのである。石球が見つかったコスタリカのディキス川周辺では、古代、独自の石器文化を築いていたとされるディキス人が暮らしていた。しかし、今から500年以上も前に、一体彼らはどのようにして巨大な「真球」を作ることが出来たのか?

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2007年01月18日

イースター島のモアイ

ポリネシアの南端、南緯27度西経109度に位置する世界の果て、イースター島には約1000体もの謎の巨人象、「モアイ」が残されている。

いつ、なぜ、だれが、どのように作ったのかは諸説様々で未だに真相は解明されていない。不思議なことに立っているモアイは全て同じ方向を見つめている。

moai.jpg続きを読む
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2007年01月17日

古代コロンビア黄金飛行機

18世紀中頃、プレ・コロンビア文明の遺跡から奇妙な黄金の装飾品が発見された。その数は20点以上にも及び、西暦500〜800年頃に栄えたプレ・コロンビア時代の装飾品と考えられた。

その形状は長さ約6cm、幅5cm、高さ1.5cm程度で材質は高純度の金。また胴体の中央部分から左右、後ろに突出物が伸びている。発見当初、これらの装飾品は翼のようなものがある事から鳥や昆虫などをかたどったものではないかと考えられたが、

1969年アメリカの動物学者アイヴァン・サンダーソン博士は博物館から黄金装飾品のモデルとなった生物の特定を依頼された際、動物学上モチーフになった鳥や昆虫は存在しないと断言した。

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2007年01月16日

超古代文明の遺物!? アンティキテラの歯車

1900年。ギリシア・アンティキテラ島沖合の水深50mの海底から奇妙な形をした青銅製の塊が4つ発見された。

一番大きな塊は縦およそ17cm、横およそ15cm。海水によってその表面は腐食が進んでいたが、微かに「歯車」のような形が確認できた。

一番大きな歯車は直径12.7cm。一部に古代ギリシア文字で、暦に関する記述や「星座名」が確認できた。

同じ場所から見つかった他の遺物などから、それは、紀元前80年頃の古代ギリシア文明のモノであることは明らかであった。
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2007年01月15日

遺跡トンカラリンの正体

トンカラリン.jpg熊本県菊水町に謎の遺跡といわれる『トンカラリン』が存在する。

トンカラリンは自然に出来た地割れを利用した、構造や大きさの違った5つのトンネルが連なっている遺跡で、全長は465mにも及ぶ。遺跡の中は、人が1人やっと通れるほどの狭く曲がりくねった通路や、這ってしか通れないほどの人工的な石組み通路などからなる。このトンカラリンは造られた年代や目的は不明とされている。1974年にこの遺跡を調査した、熊本県の教育委員会や考古学者たちは、その造られた目的について、@排水路説、A水道説、B城の抜け穴説、などの仮説を立てたが、どれも根拠や決め手に欠けたという。しかし1994年、トンカラリンの造られた目的の謎を解く鍵となりそうな物が、トンカラリン周辺の前原長溝遺跡から発見された。それは変形頭蓋骨。発掘した別府大学の坂田邦洋助教授によると、この変形頭蓋骨の人物は、弥生時代中期ころの支配階級の女性であり、変形は人工的になされた物だという。さらにこれと似た変形頭蓋骨が、トンカラリンにほど近い、松坂前方後円墳から3体も発見された。坂田助教授によるとこの3体の変形頭蓋骨も人工的に変形された物だという。
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2007年01月13日

謎の鬼ミイラの正体

大分県北部のある町に鬼のミイラが保管されているという.
身長は2m20cmと大柄で、人間の様な骨格をしており、頭部に2本の角があるというミイラが確かに存在したのだ。このミイラは確かに伝説として語り継がれてきた「鬼」の特徴と一致している。しかし頭部が大きすぎ、全体のバランスは悪い。このミイラは本当に鬼のミイラなのか?

oninomiira.jpg続きを読む
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仏教都市平泉

都市に寺社仏閣を作ることはすなわち、当時の最先端の技術や職人が運び込まれ、多くの学僧が集まる。これにより、始め前九年・後三年戦死者供養のための仏教が、平泉の文化を急速に開花させる仏教へと発展していく。
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2007年01月12日

平泉文化

後三年の役で一人生き残った清衡は、安倍・清原の両勢力を取り込み、陸奥六郡・出羽三郡の実権を掌握する。そして父経清の姓「藤原」を名乗り都の藤原摂関家に接近する。都にいわば「賄賂」を贈ることによって、陸奥の内政の不干渉を得た。

この地で彼の戦乱の半生を振り返り、戦乱に散った安倍氏・清原氏を供養するために、一大伽藍の造営に着手する。これが中尊寺を中心とする金色堂、経堂、二階大堂などの寺院群となる。
 金色堂は始め阿弥陀堂であったものが、清衡の死後、藤原氏の葬堂として機能する。

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2007年01月11日

【後三年の役】

前九年の役の後、奧六郡の権力を握ったのは源氏ではなく清原氏であった。清原氏は本拠地出羽から衣川に進出し、戦の褒美として賜った安倍氏の女達を妻に迎えた。清原氏も例外無く、安倍氏の女を妻に迎えた。
それから約二十年後、清原氏に家督相続の問題が起こった。
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