2007年03月03日

謎のシュメール文明 2

シュメール人とはいかなる民族なのか、それも謎に包まれている。シュメール人が、どういう民族で、どういう言葉をしゃべり、どこから来たのか? 一切わからないのである。
 シュメール語にしても、周辺民族のそれと何ら類似性が見られないのである。掘り出されたシュメール人を描いたと思われる像は、どれも目が異様に大きくあご髭をはやしているのが印象的だ。
 もう一つ、彼らの出所を複雑怪奇にする理由は、シュメール文明の基になる文明の痕跡が見当たらないことである。
 つまり、いくら、発掘を重ねても、それ以前の遺跡が見つからないことである。どういう文明にも、その発端となる文明は存在するものである。それが、シュメール文明に関しては、それが見当たらないのである

何よりも不可解なのは、シュメール人が、使っていた暦だ。それは、月の満ち欠けで、年月をはかる太陰暦と呼べるもので、世界最古の暦(こよみ)と言えるものだった。彼らの用いた暦は、驚異的とも言える恐ろしく正確な暦で、日食、月食のタイミングを始め、様々な惑星の事細かな動きまで詳細に予想出来たのである。さらに、信じられないことには、2万5920年かかって地球の地軸が円を描くという歳差運動(さいさうんどう)の周期すら知っていた! メソポタミアの地に登場して、たかだか2千年ほどで、どうして、そのようなデータがわかったのだろうか? 
 記録によれば、シュメール人は、当時、すでに何百もの天文用語を使っていたことも判明している。彼らがどのようにして、そのような高度な天文学を持つに至ったのかはわからない。彼らは、世界最古とも言える60進法を基本とする数学を確立し、それに基づいて高度な暦をつくり上げたのである。
 かくのごとく高度な天文知識に加えて、恐ろしく高度な彼らシュメール人の文明が、何を手本にし、また何に影響を受けたのかは不明である。ただ言えることは、シュメール文明は、紀元前3800千年ほど前に、奇跡と思える暦、高度な数学、複雑な社会機構や合金技術を持った状態でいきなり歴史に登場して来たということだ。これは何を意味するのだろうか? シュメール文明が、古代史最大の謎と言われている所以がここにあるのだ。
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2007年02月28日

謎のシュメール文明 1

紀元前5千年頃、後にメソポタミアと呼ばれるユーフラテス河の沿岸地帯に、ある農耕民族が住み着いた。彼らの住み着いた土地は、耕作や放牧に適しており、近くの湿地帯では、魚と鳥が常に豊富に得られるという生活するには理想的な環境だった。
 その農耕民族は、その後千年以上そこに住み着き、泥でレンガをつくって街をつくり、中近東で最も繁栄した地帯となった。ただ、彼らは、文字を持たなかったので、詳しい記録を残すことはなかった。
 紀元前3800年頃、どこからかシュメール人と呼ばれる民族がやって来ると、信じられない大変化が起こった。文明の一大ブレークとも言うべき現象が起きたのである。メソポタミアの地は、わずかの間に、前例のない大繁栄を記録した。そして、空前とも言える政治権力が打ち立てられたのである。それは、美術、建築、宗教は言うに及ばず、社会機構、日常の細かな慣習から楔形文字の発明に至るまで、それらは、すべて、彼らシュメール人の成せる画期的偉業であった。世界最初と言われる船や車輪つき戦車なども、この頃、シュメール人によってつくられたのである
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2007年02月23日

アトランティス大陸

約12,000年前、大西洋上に存在したという大陸。その上では優れた文明が栄え、領土拡張に熱心であり、地中海にあった諸国を盛んに攻撃していた。だが、ギリシア軍との戦闘中に、大陸は一夜にして海底に沈没してしまったという。
 ギリシアの哲学者プラトン(前427?-前347?)がその対話編『ティマイオス』と『クリティアス』で初めてその実在を主張した。プラトンはヘラクレスの柱(ジブラルタル海峡)の彼方にある「島」としか書いていないが、その巨大さは充分「大陸」と呼ぶに値する。その後、アメリカの作家・政治家イグネイシャス・ダンリー(1931-1901)が研究書『アトランティス』(1882)を発表。以降、アトランティス大陸の研究に一大ブームが巻き起こった。この伝説は現在に至るまで多くの支持者を得ている。
 だが、地質学的には、少なくともそのような大陸が大西洋に存在したようなことはありえず、また、その実在を示す地質学的・考古学的証拠も見つかっていない(これはレムリア大陸やムー大陸についても当てはまる)。
 現在最も有力視されている仮説に、エーゲ海に浮かぶ火山島・ティーラ島(サントリニ島)の大噴火とこの伝説を結びつけるものがある。ティーラ島は紀元前1,400年頃大爆発を起こし、当時クレタ島で繁栄していたミノア文明を壊滅させた。一部の学者はこの破滅的な大噴火の記憶がアトランティス伝説のモデルになったと主張している。だが、この仮説には、島の大きさにしろ位置にしろ、プラトンの原文と全くそぐわないという難点が残されている。

 だが、この説の最大の謎は、当のプラトン以外にこの伝説を聞いたり記録したりした者が、誰一人として見当たらないことにあるだろう
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2007年02月22日

パレンケ遺跡のパイロット彫絵

1952年メキシコの考古学者ルイリエールによって、パレンケ碑銘の神殿の地下から発見された、パカル王の石棺の蓋に描かれた彫絵。

人間が乗り物に乗り、手には操縦捍を握り、足はペダルのようなものに乗せているように見える。

また、後部から炎が激しく吹き出しているかのように見えることから、現代のロケットを模写したかのようであり、これは、そのロケットを操縦するパイロットを描いているのではないかと言われている。しかも、周囲の文字を解読したところ、この石棺がいつ開かれるかという予言が書いてあり、それがピタリと的中していたというのだ。そのことは、当時の彼らはすでに高い科学という論拠のひとつになっている。と推測されている。

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2007年02月17日

沖縄の海に記された神々の爪痕

与那国島(よなくにじま)は、沖縄本島から隔たること500キロ、南西諸島の最先端に位置し、日本で最も西に位置する島である。この島は、東西10キロ、南北4キロの紡錘型をした小さな島で、台湾までは約110キロほどしか離れていない。人口は1800人ほどで、周囲に波風をさえぎるものは何もなく、冬には、強い北風と荒い波が島にもろに打ちつけ、生物には過酷な環境である。








 1986年、この島の南側にある新川鼻(あらかわばな)岬の沖合い100メートルほどの海底で、明らかに人為的に造られたと見られるテラスや階段、排水溝らしきものが数多くが発見された。その後、発見した地元のダイバーによって遺跡ポイントと名付けられたが、それ以来、大きな反響を呼び起こすこととなった。そして、この海底遺跡を巡って様々な説が唱えられるようになったのである
グスクと呼ばれる城塞だという説、神殿、水中の墓、石切り場だったという説から、沖縄は、かつて地上にあった超古代文明の名残りだったという説まで、また与那国島の海底遺跡こそムー大陸の一部だったという説など、さまざまな熱き論争を巻き起こす火種となったのである。続きを読む
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2007年02月12日

カブレラストーン

これは1961年に南米ペルー、アンデス地方の
イカという村で大量に発見された
「カブレラストーン」と呼ばれる石である。
この石には驚くべきことに
約6500万年前に絶滅したはずの
恐竜たちの絵が描かれているという。
また人間が恐竜に乗っている絵や
餌付けしている絵、さらには
人間が武器を持って恐竜と戦っている絵もあるという。
これらの絵は人間と恐竜が共存していた事を示している。



このカブレラストーンは分析の結果
1万年以上前に制作された物であることが分かっている。
ということはカブレラストーンが正しければ
1万年前まで恐竜が生息していた事になり
現在の歴史が変わる発見となる。

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また心臓手術や頭部手術の様子、世界地図、
天体望遠鏡で宇宙を観測する人などが
描かれている石も見つかっている。

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これらが本当なら、かなり高度な技術を持っている文明が
1万年以上前に存在していたことになる。
これも今までの世界の歴史が変わる発見になる。
とりあえずスケールの大きいオーパーツである。
カブレラストーンの研究は現在も行われているという。
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2007年02月10日

1千トンの超巨大石柱運搬にまつわる謎 2

巨石は、南西に700メートルほど離れた採石場から切り出され、運ばれたと考えられている。

問題なのは、古代の技術でこのような恐ろしく重いものをどのようにして運び、いかにして持ち上げたのかという点である。これらの巨石が古代人の手によって運ばれたとは思えないのである。しかも、古代にそのような運搬技術があったということも信じられないのである。
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 現代においても、通常のクレーンではびくともしない。ただ少数ながら、この巨石すらも持ち上げることの出来る特殊重クレーンは存在する。

しかし、持ち上げることは出来ても運搬することなど到底不可能なのである。では、いかにすれば、この巨石を持ち上げ、移動し、神殿の基壇に据え付けることが出来るのか?

いずれにしても、セム族がバールベク建設を始めた当時には、このような技術などあろうはずもなく、鉄製の道具すらない時代であった。

ほとんどが人力に頼らざるを得ない時代だったのである。
 ピラミッド建設のように木の丸太を並べてローラーにすることも不可能だ。これほどの重量になると木の丸太は、いとも簡単に押しつぶされてしまうからである

考古学的データを引用すれば、1トンの石を1600メートル移動させるのに16人の人間が必要とされている。

これをベースに考えてみると、一個のトリリトンを運ぶのに1万5千人ほどの人力が必要になる。しかし、これに耐えうる強度のロープや1万5千人という驚異的な数の人員を効果的に配置する方法など考えると不可能に近い。

例え、仮に目的地まで引っ張って行くことが出来たとしても、どうして、10メートルも空中に持ち上げて乗せることが出来るだろう?

 恐らく到底・・・否、現実的には出来そうもない話である。しかも、周囲には、そのような工事の跡も残されていないのである。

すると、この方法で運搬したとは考えられない。では、いかなる方法でこれらの巨石を運び、持ち上げることが出来たのか、現在に至っても、未だに納得のいく答えは見つかってはいない。
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2007年02月09日

1千トンの超巨大石柱運搬にまつわる謎 1

レバノンの首都ベイルートから北東に85キロほど走ったところに、レバノン山脈とアンチレバノン山脈に挟まれたべーカー峡谷という場所がある。


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その場所は、バールベクと呼ばれ、ローマ帝国時代の一大聖地があった場所だ。

その中心には、かつて、とてつもなく巨大な神殿がそびえたち人々の心に畏怖の念を抱かせていたと言われている。

 その大神殿は、古代世界の不思議に数えられたほどの偉大な建造物で、1千個以上の巨石を使って建設されていた。

この大神殿は、ジュピター、バッカス、ビーナスと呼ばれる3つの神殿から成り立っていた。

とりわけジュピター神殿は、途方もなく巨大な建造物で驚愕に値するほどであったという。

ここには、ローマの神々の中の主神とされる全能の神ジュピターが祀られていた。

この大神殿は、今から2千年ほど前、ローマ帝国が帝政に入って間もない頃、ローマ人によって建設されたと言われている。

 だが、残念ながら、幾度かの大地震で破壊され、今では、6本の石柱しか残っていない。

しかし、それでも一本が直径2.2メートル、高さは、優に20メートルを越す壮大な石柱を見るだけで当時の巨大さは忍ばれるはずだ。

当時は、このような石柱が54本も林立して巨大な神殿の屋根を支えていたのである。

その規模の大きさは、ギリシアのパルテノン神殿をはるかに凌駕し、見る者に大いなる衝撃を与えて止まなかったと言われている。

まさに、世界に富と権力を誇示しようとするローマ人の姿勢がそこに読み取れるものであった。
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2007年02月08日

巨石に秘められた古代の不可思議な謎

前記もしたけれど中米のコスタリカの石球といい、世界にはもっと不思議な巨石遺跡があります。

その巨石遺跡の中で、どうしても理解に苦しむような遺跡が発見されることがある。

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いくら頭をひねってそれらしい理由をこじつけようとするのだが、答えにはならず、ますます終わりのない謎解きの底なし沼にのめり込んでいくような気分にされてしまうのである。

 ペルーインカ帝国の都クスコの北東に、サクサイワマンの城壁がある。その城壁のすぐ近くの山腹の火口に1個の巨石が横たわっている。

 それは2万トンは優に越すと思われるほどの巨大なブロック状の形をした岩石である。

しかし、それが、ただの岩石ではない証拠に、その巨大な岩石の周囲にはらせん状の不思議な模様や無数の穴が彫られているのである。
それらは明らかに人間の手によって加工されたものと考えられている。

そして、最もきわめつけの謎は、この巨大な岩石がさかさまの状態で置かれているということなのだ。

 すなわち、階段が天井から下へと続いている。決して上ることの出来ぬさかさまになった階段だ。

さかさまに置かれているのはいかなる理由によるものか不明である。
 あるいは、とてつもない巨大なエネルギ−でひっくり返された結果なのだろうか?

 この巨大な岩石は人間の手によって、別な場所で加工され、この山の山腹まで運ばれたと想像されていが、そうすると、いかなる技術によってこの巨大な岩石を動かしたのであろうか?

  この巨大な岩石を目の前にする時、これまでの通常の概念や常識といった存在が根底からくつがえされ、どんな空想力でさえ無力だと感じてしまわざるを得ない。  

 この疑問もさることながら、この巨石のすぐ脇には超高温によって岩が溶けたような跡がある。

この巨大なブロック状の岩石となんらかの関係があるのだろうか? まさしく、謎だらけで、途方に暮れてしまう瞬間である。
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2007年02月07日

ネアンデルタール人の弾痕

この頭蓋骨は、1921年にアフリカのザンビアで発見されたネアンデルタール人の化石である。

 

ネアンデルタール人といえば、人類の祖先といわれていることで有名だが、頭蓋骨の左側側頭部に、弾丸が貫通したような痕跡が発見された。ヨーロッパで銃が発明されたのは14世紀である。

 

なぜ10万年前の化石人骨の頭蓋骨に弾丸の痕が残っているのか?発見場所は地下18メートルの地層からである。考古学者に持ち込まれたが、説明がつかず、ベルリンの法医学者の専門家が調査に乗り出した。

ご存知の通り、法医学者は死体を解剖して、死因の原因究明を担当する専門家である。

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彼らが出した結論は、「高速で発射された弾丸が左側頭部に入り、反対側に貫通して破壊された痕らしい」というものであった。たしかに銃で撃った時に出来る痕と同様に、弾丸が入ったと思われる穴は小さく、弾丸が貫通して抜けたと思われる反対側の損傷は著しく激しいのが見て取れる。
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2007年02月02日

謎の地底王国アガルタ 3

地中には、途方もない量の金や宝石が眠っている。誰もがそれを見つけようと必死になるが、誰も何も見つけることは出来ない。シャンバラに入ろうとする者はたくさんいる。しかし、ほとんどの者は、何も見つけることは出来ないのだ。ごく限られた者が、カルマの準備の出来た者のみが、この聖域に入れるだけなのだ・・・と。


 カルマというのは、生前、自分の行った善悪のことで、仏教では、業と呼ばれているものである。
 仏教の教えでは、肉体は滅びても、魂は滅びずに延々と輪廻転生する中で、絶えず、業が刻み込まれていくのである。
 そして、前世に行った結果如何によって、次に生まれて来た段階で、良きにしろ悪しきにしろ、影響を及ぼすのである。 
 つまり、他人に苦しみを与えれば苦しみが自分に返り、喜びを与えれば喜びが自分に返ってくるという因果応報の法則が繰り返されるのだ。
仏教の哲学は、広大な宇宙をあらわしている?!
 僧が語った内容によれば、高い(良い)波動を持った人間のみが、理想郷に招き寄せられるということになる。

 ふさわしくない者が、いくら苦から逃れたくて必死に楽園を探し求めても、遠去かっていくだけということになりかねないのだ。
 時輪タントラにもあるように、その人の意識が、あるレベルに達した時、それは、伝授される。言い換えれば、その時が、シャンバラの高い波動に同調出来る時なのかもしれない。
では、その時こそ、シャンバラの入り口が、我々の前に開かれる時なのだろうか?
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2007年01月31日

謎の地底王国アガルタ 1

中央アジアのどこかには、アガルタという地底王国があると言われている。その地底王国は、紀元前より存在していると言う。

これまで、その場所を巡って様々な憶測がなされてきた。ある人は、アガルタは、荒涼たる砂漠の中にあると言い、ある人は、人跡未踏の山脈にあると言う。しかも、その地下王国は、蜘蛛の巣のように張り巡らされた地下のトンネルで、地球のありとあらゆる場所につながり、世界を一巡していると言われているのである。
 この地下の巨大な連絡網は、聖なる輪と呼ばれており、まことに、雄大なもので、インカ帝国のあった南米を中心に、一方は北米に、また、海の下を通って、灼熱のアフリカのサハラ砂漠を横断して、カッパドキアの地下都市を経由して、アジアにまで到達しているというものである。まさしく、これは、総延長何万キロにもおよぶ想像を絶する規模なのである。

 アガルタの首都は、シャンバラと言い、夢のような理想郷だと言われている。その都の中央には、水晶や真珠、金銀など美しい宝石で彩られた輝くばかりの黄金宮殿があり、シャンバラ全体は、宮殿の放つクリスタルの神秘のパワーに満ちているのである。そこには、苦もなく犯罪も一切なく、慈愛と平和だけが満たされている。
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2007年01月27日

古代の神々に呼びかけた真相の謎

ナスカの地上絵
地上絵の存在が明らかになったのは、1927年だった。ペルーの測量チームが、ナスカ高原上空を飛行中、眼下の砂漠に奇妙な絵が描かれているのを発見したのである。

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 その時、彼らは、思わず自分たちの目を疑ったであろう。そこには、見渡す限り、巨大な動物や植物を描いた絵など、また、わけのわからぬ奇妙な図形で覆い尽くされていたからである。

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今日までに確認されただけでも、ハチドリ、クモ、サル、キツネ、シャチ、コンドル、トカゲ、宇宙飛行士のような人間など動植物を描いた絵が約30個、1万3千本を超える滑走路のような幾何学図形や、数10キロにわたる直線が約300本以上認められている。

 そして、これらの巨大な絵や図形の大きさは全長100メートル以上にも及び、地上からでは絶対に判別出来ないものである。

 これらの地上絵は、今から、1500年から3000年前に描かれたものと考えられている。ナスカ平原は、錆びた鉄塊のような細かい石が敷き詰められた場所の不毛地帯で、年間の雨量がわずか5ミリという、ほとんど雨が降らない超乾燥エリアなのである。
 このような気象条件が1万年以上に渡って続いてきたために、これほど長大な年月の間、地上絵が消滅もせず存続してきたと考えられている。
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2007年01月25日

古代に舞い降りた神々の正体

はるか古代に超高空から地球を眼下に望む? そんなことが出来るだろうか?
 しかし、そうとも考えないことには理屈に合わない不可思議な遺跡が数多く報告されているのである。

また、ある遺跡では、宇宙船らしき乗り物のコクピットを描いたような壁画が発見されている。

1835年、トルコのイスタンブールのトプカプ宮殿というところで一枚の古い地図が発見された。それは、16世紀の頃のピリ提督の所有物で、提督はオリエントのどこかで手に入れたものとされている。

 この地図は、驚くべきことにヨーロッパ、地中海、アフリカの海岸線がきちんと描かれていることは言うに及ばず、この当時に発見されたばかりの南北新大陸の位置が正確に表示されており、発行当時は知られていないアマゾン川やオリノコ川が描かれていた。

特にアマゾン川は、河口やデルタまでもが正確に記入されていた。
 その後、科学技術が進歩するにつれて、この地図に隠されたショッキングな事実が次々と明るみに出始めた。

まず、20世紀中頃、音響探知機によって初めてその存在が知られた南極大陸の山脈の位置までもが記入されていたのである。

南極大陸の厚い万年氷に覆われた山々は、今日でも音響探知機なくして、その全景を表すことは不可能である。

 そして、きわめつけとして、この地図は、かなりの高度から撮影された写真を元に制作されたとしか思えぬ特徴を含んでいた。


1835年にトプカプ宮殿で発見された古地図

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高度8000キロ上空からレンズを通して、地球を見るとこのようになる続きを読む
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2007年01月23日

ノアの箱舟

旧約聖書の中の話や神話や伝説が、全くの寓話、作り話でない証拠に近年、神話や伝説がもとで、様々な歴史的発見がなされているのは周知の事実である。こう考えれば、「ギルガメッシュ」に記された大洪水の話は、この地方でよく氾濫を繰り返したチグリスとユーフラテス川の洪水による大惨事とだぶってくるのは否めない。

 そして、この忌わしい大洪水の記憶が、受け継がれ変形されて、ノアの箱舟伝説になっていったと考えられるのである。大洪水は、聖書に描かれているような規模ではなかったものの、人々の心に凄まじい恐怖を植えつけることは出来たはずだ。

1953年には、ヘリコプターのアメリカ人パイロットが、アララト山の斜面に巨大な箱舟の跡を発見し、30メートル上空から鮮明な写真を撮っている。

 1956年には、フランスの探検隊が、アララト山の氷河と氷湖の間で、巨大なL字型の船の竜骨を発掘した。


 さらに、1969年には、今度はアメリカの探険隊が、氷河の中からその一部を持ち帰ることに成功した。専門家が炭素による年代測定を行ったところ、紀元前3千年頃の木材であり、化石化していたことが判明した。
 その後も、探険は何回か行われ、ある時は、何も発見することなく空しく終わることもあったが、中には、決死的覚悟でノアの箱舟の一部と思われるものを持ち帰った探検隊もあった。

 なにせ、大部分は、電動ノコも全く寄せつけぬ氷層下にあるため調査は難航しているということである。ある探検隊は、地中レーダーを使ったこともあったが、その結果、分厚い氷層下にあるそれは、糸杉でつくられた紀元前3千〜4千年ほど前の巨大構造物であり、竜骨、柱、リベット、イカリらしきものも確認されたと報告している。
 人工衛星からの画像からも、巨大な影が捉えられたこともある。それによるとその構造物の形は、旧約聖書に出てくる箱舟のようなシルエットであり、これは、1965年にロンドンのディリー・テレグラフ紙に発表されて、一大センセーショナルを巻き起こした。

 この画像によると、箱舟の大きさは、全長150メートル、幅24メートル、高さ15メートルにおよぶ巨船ではなかったかと推定されている。これは豪華客船クイーン・メアリー号の3/2に匹敵する規模である。しかも、このサイズは、神がノアに箱舟をつくる際、命じた寸法とほぼ同じなのである。
詳細は、今後の調査を待たねばならないが、聖書の世界だけの幻象と考えられてきたノアの箱舟が、過去に実際起きた事実に基づくものであったならば、我々の持つ既存の認識に大衝撃をもたらすであろう。
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2007年01月22日

邪馬台国の卑弥呼 1

紀元3世紀頃、その頃中国は4百年間も支配し続けた漢が滅亡し、代わりに魏、呉、蜀という三つの強国があらわれ中国全土を分割し互いに覇を競い合う時代になっていた。世に言う三国志の時代である。

つまり、ありとあらゆる知謀が駆使されて駆け引きや決戦が行われ、英雄が多数あらわれたロマン溢れる時代でもあった。


 こうした中国の動静は三国志という記録書に詳しい。その中に当時の日本の様子を描いたと思われる記述が出て来るくだりがある。

その2千文字ほどの記述箇所は魏志倭人伝と呼ばれ、今日、我々はそれによってこの頃の古代日本がどのような状態にあったのかをうかがい知ることが出来るのだ。
 

ところが、どうしたことか日本の古代史をあらわしたとされる我国最古の記録書、古事記や日本書紀には、邪馬台国や卑弥呼の記述は一切見当たらないのである。

つまり、中国側のこうした記録がもしなかったなら、日本の古代史に邪馬台国や女王卑弥呼などは存在すらしていなかったことになってしまうのだ。

では、中国側の記録によれば、その頃の古代日本はどういう状態だったのだろうか?
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古代バビロニアの電池

中東のイラク、クジュトラブアの丘にある約2000年前の古代パルティア遺跡から1937年に発掘された陶製の壷とその中の物体。その構造から太古の花瓶型電池といわれている。
1970年に(当時)西ドイツの考古学者アールネ・エッゲブレヒト博士が、この電池のレプリカを作り、電気分解による金メッキ実験を行い見事に成功している。同じく遺跡から発掘された出土品の中にはエレクトロン合金(*注)でメッキしたものもあり、古代の電気技術の確かさが証明されている、とも言われている。

opt_1.jpg続きを読む
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2007年01月20日

アショカ王の錆びない鉄柱

千数百年以上風雨にさらされていても全く錆びていないという不思議な鉄で出来たものである。考古学的にいうと古代の遺跡からは石器、土器や青銅器といったものはおおよそ作られた形状をある程度残しているため出土しやすく、発見される事も多く研究も進んでいる。

しかし鉄で作られたものは長い時間空気にさらされているため酸化してしまい、ものはほとんど残らずあったとしてもその残りから全てを推測するのは他のものと比べて非常に難しい。

tower.jpg続きを読む
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2007年01月19日

コスタリカ巨大石球

1930年代にコスタリカのディキス川周辺で200個以上発見された石球群。これらは、紀西暦300年〜1500年頃のものであるとされている。

石球の大きさは直径2、3cm程の物から最大で2.6m、重さ25トンに至る物まで千差万別。そしてこれらの石球がオーパーツとされる最大の特徴は、石球がなんと限りなく「真球」に近いという点にある。

実は、完璧な球体である「真球」を作るのは現代の技術でも非常に困難であるという。

人工的に真球を作ることが出来るようになったのは1990年代、コンピューター制御によるハイテクマシンが開発されてからだが、こうしたコンピューターを用いたとしても完全な「真球」を作ることが出来るのは直径1mまで。コスタリカで発見されたような直径2mにも及ぶ石球を作ろうとした場合、誤差が生じてしまうという。

つまり、当時の技術でこれほど巨大な「真球」を作ることが出来たとは極めて考えにくいのである。石球が見つかったコスタリカのディキス川周辺では、古代、独自の石器文化を築いていたとされるディキス人が暮らしていた。しかし、今から500年以上も前に、一体彼らはどのようにして巨大な「真球」を作ることが出来たのか?

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2007年01月18日

イースター島のモアイ

ポリネシアの南端、南緯27度西経109度に位置する世界の果て、イースター島には約1000体もの謎の巨人象、「モアイ」が残されている。

いつ、なぜ、だれが、どのように作ったのかは諸説様々で未だに真相は解明されていない。不思議なことに立っているモアイは全て同じ方向を見つめている。

moai.jpg続きを読む
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