2007年02月03日

磁気石像


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北九州の石人山古墳にある1.9メートルの武人石像。その心臓の場所に磁気異常が見られる。これは別項のオルメカ巨大人頭像のこめかみにも見受けられる謎の現象だ。
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2007年02月02日

謎の地底王国アガルタ 3

地中には、途方もない量の金や宝石が眠っている。誰もがそれを見つけようと必死になるが、誰も何も見つけることは出来ない。シャンバラに入ろうとする者はたくさんいる。しかし、ほとんどの者は、何も見つけることは出来ないのだ。ごく限られた者が、カルマの準備の出来た者のみが、この聖域に入れるだけなのだ・・・と。


 カルマというのは、生前、自分の行った善悪のことで、仏教では、業と呼ばれているものである。
 仏教の教えでは、肉体は滅びても、魂は滅びずに延々と輪廻転生する中で、絶えず、業が刻み込まれていくのである。
 そして、前世に行った結果如何によって、次に生まれて来た段階で、良きにしろ悪しきにしろ、影響を及ぼすのである。 
 つまり、他人に苦しみを与えれば苦しみが自分に返り、喜びを与えれば喜びが自分に返ってくるという因果応報の法則が繰り返されるのだ。
仏教の哲学は、広大な宇宙をあらわしている?!
 僧が語った内容によれば、高い(良い)波動を持った人間のみが、理想郷に招き寄せられるということになる。

 ふさわしくない者が、いくら苦から逃れたくて必死に楽園を探し求めても、遠去かっていくだけということになりかねないのだ。
 時輪タントラにもあるように、その人の意識が、あるレベルに達した時、それは、伝授される。言い換えれば、その時が、シャンバラの高い波動に同調出来る時なのかもしれない。
では、その時こそ、シャンバラの入り口が、我々の前に開かれる時なのだろうか?
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2007年02月01日

謎の地底王国アガルタ 2

アガルタへの入り口は、チベットの首都、ラサにあるダライ・ラマが住むというポタラ宮殿内にあると言われている説まである。その出入り口は、ラマ僧らによって厳重に管理されているというのである。

 そのとてつもなく巨大な宮殿は、13階建てで、部屋数は千を越し、山全体を覆うようにして建てられている。そして、ほとんど内部は公開されたこともなく、今なお、秘密のベールに包まれているのである。
 確かに、この得体の知れぬ巨大な宮殿の地下がアガルタの入り口につながっていると言っても、おかしくはないムードを漂わせている。


ラサにある巨大なポタラ宮殿
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2007年01月31日

謎の地底王国アガルタ 1

中央アジアのどこかには、アガルタという地底王国があると言われている。その地底王国は、紀元前より存在していると言う。

これまで、その場所を巡って様々な憶測がなされてきた。ある人は、アガルタは、荒涼たる砂漠の中にあると言い、ある人は、人跡未踏の山脈にあると言う。しかも、その地下王国は、蜘蛛の巣のように張り巡らされた地下のトンネルで、地球のありとあらゆる場所につながり、世界を一巡していると言われているのである。
 この地下の巨大な連絡網は、聖なる輪と呼ばれており、まことに、雄大なもので、インカ帝国のあった南米を中心に、一方は北米に、また、海の下を通って、灼熱のアフリカのサハラ砂漠を横断して、カッパドキアの地下都市を経由して、アジアにまで到達しているというものである。まさしく、これは、総延長何万キロにもおよぶ想像を絶する規模なのである。

 アガルタの首都は、シャンバラと言い、夢のような理想郷だと言われている。その都の中央には、水晶や真珠、金銀など美しい宝石で彩られた輝くばかりの黄金宮殿があり、シャンバラ全体は、宮殿の放つクリスタルの神秘のパワーに満ちているのである。そこには、苦もなく犯罪も一切なく、慈愛と平和だけが満たされている。
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2007年01月29日

マタギの心

マタギというものは山を歩いて、常に自然と言うものを見てきたんだよな。誰に頼まれたわけじゃない。俺は自分の生きかたとしてマタギをはじめたからな・・・だから、俺達マタギはね、欲というものを本当に諌める力を持たないとダメなんだ。これは自然の中ではとても大事なことなんだ。人間と言うものは欲そのものだからな。その欲に振り回されて、欲に溺れてしまうからな。それを諌める力というものが無ければ、自然の中で生きてはいけないって事を、マタギはまず学ぶ。先輩達からも山からも学ぶ。それが出来ないと、村は続いていかない、これ本当なんだよ。あんた達若い人には、分かるか分からないかわからんが、本当なんだ。自然は無限じゃないんだよ。

 特に今の時代というのは、山の木をドンドン伐採するでしょ?国有林でも何でも雑木のまま放っておけばいいのに、それをわざわざ金と手間をかけて伐採して二束三文にしかならねぇような杉ばかり植えるんだものなぁ。それにあれだね、今はスキー場だとかなんとかで山でも海でも、やたらと手をかけていじくるもんな。冗談じゃないよ!俺達人間の遊ぶところを作るよりも、動物だの鳥だのが遊べるところを、いっぱい作ってやったほうがいいに決まってる。そういう場所なら、一銭もかからねぇ。放っておけばそうなるものさ。とにかく阿仁でも、もう昔のような形での猟はできなくなってしまった。山の獣も育てながら、増えた分を分けてもらうという形にしていかないと、続かないさ。もっともマタギというのは、そういうことをうるさく言ってきたんだけども・・・
タグ:マタギ
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2007年01月28日

アララト山と富士を結ぶ点と線

西の高天原「阿間都洲」はアルメニアか? 私がこう考える理由の一つに、アルメニア地方を代表する一つの「聖なる山」の存在があります。その名をアララトと言います。
アララト山。標高5,165mの大アララト(写真左側)と、3,925mの小アララト(写真右側)の2峰からなるコニーデ型(成層・円錐)火山。『旧約聖書』「創世記」に「ノアの箱船」が漂着したと伝えられる聖山で、この山を中心とした地域を古来よりアルメニアと呼んでいます。この山は万年雪を頂き、トルコ・アルメニア・イラン等の国境地帯に隣接する為(現在はトルコ領)、現在でも入山が厳しく制限されています。このアララト山をご覧になって、皆さんは何か感じませんでしょうか? 周囲の風景を取り除いてみると・・・そう、あの霊峰・富士と見紛う程そっくりなのです。

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万年雪を頂く聖なる山・アララト  『旧約聖書』に「ノアの箱船」が漂着したと伝えられる

富士山。標高3,776m(剣ヶ峰)、山梨(ピークは白山岳 3,756m)・静岡(ピークは剣ヶ峰 3,776m)両県にまたがる日本の最高峰。アララト山と同様のコニーデ型火山で、山頂・山麓間の標高差では世界最大規模を誇っています。


これら二つの山がなぜ、かくも似ているのか? コニーデ型火山だからと言えば、それ迄ですが、その他にも、



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日本を代表する霊峰・富士  かつてその麓には壮麗な神都があったと伝えられる



アララト山は「ノアの箱船」の漂着地として、富士山は富士浅間神社の「御神体」として、両者共、古くから信仰の対象として崇拝されてきた。
アララト山と麓の都市(地名が分からない)の組み合わせは、富士山と麓の富士宮市(静岡県)の組み合わせと瓜二つと言って良い程、風景が似ている。
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2007年01月27日

古代の神々に呼びかけた真相の謎

ナスカの地上絵
地上絵の存在が明らかになったのは、1927年だった。ペルーの測量チームが、ナスカ高原上空を飛行中、眼下の砂漠に奇妙な絵が描かれているのを発見したのである。

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 その時、彼らは、思わず自分たちの目を疑ったであろう。そこには、見渡す限り、巨大な動物や植物を描いた絵など、また、わけのわからぬ奇妙な図形で覆い尽くされていたからである。

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今日までに確認されただけでも、ハチドリ、クモ、サル、キツネ、シャチ、コンドル、トカゲ、宇宙飛行士のような人間など動植物を描いた絵が約30個、1万3千本を超える滑走路のような幾何学図形や、数10キロにわたる直線が約300本以上認められている。

 そして、これらの巨大な絵や図形の大きさは全長100メートル以上にも及び、地上からでは絶対に判別出来ないものである。

 これらの地上絵は、今から、1500年から3000年前に描かれたものと考えられている。ナスカ平原は、錆びた鉄塊のような細かい石が敷き詰められた場所の不毛地帯で、年間の雨量がわずか5ミリという、ほとんど雨が降らない超乾燥エリアなのである。
 このような気象条件が1万年以上に渡って続いてきたために、これほど長大な年月の間、地上絵が消滅もせず存続してきたと考えられている。
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2007年01月26日

アラハバキ

日本各地には、小さな社として、あるいは末社としてアラハバキを祀る神社がある。
民俗学においては、アラハバキ神はどのように理解されているのであろうか。

天孫民族が、我国に渡来せぬ以前に、先住民族によって祭られた神。


天孫渡来後において、天孫民族以外の異民族によって祭られた神が、年時の推移によって、天孫民族の祭った神に取って代られる場合。


同じ天孫民族が祭った神が、何等かの理由によって、他の天孫民族系の神と変更される場合。


先住民族と後来の民族の交替がおこたわれたという考えに立ってみれば、客人神となったアラハバキ神とは、母屋にいた神が追い出されて自分の家の庇を借りるような形で生きながらえている神といえることができるであろう。


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2007年01月25日

古代に舞い降りた神々の正体

はるか古代に超高空から地球を眼下に望む? そんなことが出来るだろうか?
 しかし、そうとも考えないことには理屈に合わない不可思議な遺跡が数多く報告されているのである。

また、ある遺跡では、宇宙船らしき乗り物のコクピットを描いたような壁画が発見されている。

1835年、トルコのイスタンブールのトプカプ宮殿というところで一枚の古い地図が発見された。それは、16世紀の頃のピリ提督の所有物で、提督はオリエントのどこかで手に入れたものとされている。

 この地図は、驚くべきことにヨーロッパ、地中海、アフリカの海岸線がきちんと描かれていることは言うに及ばず、この当時に発見されたばかりの南北新大陸の位置が正確に表示されており、発行当時は知られていないアマゾン川やオリノコ川が描かれていた。

特にアマゾン川は、河口やデルタまでもが正確に記入されていた。
 その後、科学技術が進歩するにつれて、この地図に隠されたショッキングな事実が次々と明るみに出始めた。

まず、20世紀中頃、音響探知機によって初めてその存在が知られた南極大陸の山脈の位置までもが記入されていたのである。

南極大陸の厚い万年氷に覆われた山々は、今日でも音響探知機なくして、その全景を表すことは不可能である。

 そして、きわめつけとして、この地図は、かなりの高度から撮影された写真を元に制作されたとしか思えぬ特徴を含んでいた。


1835年にトプカプ宮殿で発見された古地図

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高度8000キロ上空からレンズを通して、地球を見るとこのようになる続きを読む
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2007年01月24日

九戸政実

九戸政実は武将としての器量に優れており、九戸氏は政実の代に勢力を大幅に広げ、南部氏宗家に匹敵する勢力を築いた。

その立場は南部氏宗家から自立した大名ではなく、その家臣三戸南部氏の家臣であったと一般には認識されている。

しかしながら、中央の室町幕府の認識はあくまでも独立した大名であり、南部氏と共同歩調を取っている勢力として九戸氏を見ている。

事実1563年に足利義輝が室町幕府諸役人の名前を書き出た資料の中にも南部晴政と並んで九戸政実が記入されている。

以上のことから、九戸氏と南部氏の関係は、従来言われるような主従関係ではなく、国人同士の対等同盟というべきであろう

九戸城.jpg
九戸城跡


1582年、南部晴政が病死すると南部氏は晴政の養子・信直と実子・晴継の後継者を巡る激しい家督争いが始まることとなる。

晴政の跡は、実子の晴継が継いだが、父の葬儀の終了後、三戸城に帰城する際に暗殺されてしまう(病死説有り)。

急遽南部一族や重臣が一堂に会し大評定が行われた。後継者としては、南部
晴政の養嗣子でもあった南部信直と、一族で最有力勢力の九戸政実の弟で、南部晴政の娘婿である九戸実親が候補に挙げられた。評定では九戸実親を推す空気が強かったが、北信愛が事前に八戸政栄を調略し、結局は南部信直が後継者となることが決定する。

九戸政実としては、恩有る南部宗家を晴継暗殺の容疑者である南部信直が継いだことに大きな不満を抱き、自領へと帰還することとなる。続きを読む
posted by yutanpe at 09:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 東北王朝(日の本) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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