2007年01月13日

仏教都市平泉

都市に寺社仏閣を作ることはすなわち、当時の最先端の技術や職人が運び込まれ、多くの学僧が集まる。これにより、始め前九年・後三年戦死者供養のための仏教が、平泉の文化を急速に開花させる仏教へと発展していく。
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2007年01月12日

平泉文化

後三年の役で一人生き残った清衡は、安倍・清原の両勢力を取り込み、陸奥六郡・出羽三郡の実権を掌握する。そして父経清の姓「藤原」を名乗り都の藤原摂関家に接近する。都にいわば「賄賂」を贈ることによって、陸奥の内政の不干渉を得た。

この地で彼の戦乱の半生を振り返り、戦乱に散った安倍氏・清原氏を供養するために、一大伽藍の造営に着手する。これが中尊寺を中心とする金色堂、経堂、二階大堂などの寺院群となる。
 金色堂は始め阿弥陀堂であったものが、清衡の死後、藤原氏の葬堂として機能する。

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2007年01月11日

【後三年の役】

前九年の役の後、奧六郡の権力を握ったのは源氏ではなく清原氏であった。清原氏は本拠地出羽から衣川に進出し、戦の褒美として賜った安倍氏の女達を妻に迎えた。清原氏も例外無く、安倍氏の女を妻に迎えた。
それから約二十年後、清原氏に家督相続の問題が起こった。
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2007年01月10日

謎の土器に隠された古代日本人ミステリー

1964年、バヌアツ共和国で奇妙な土器のかけら14点が発見された。

ハワイ・ビショップ博物館の篠遠喜彦博士は、「日本の縄文式土器に似ており、バヌアツの土には含まれないミクロパーライトという成分が含まれている。」と語っている。

オックスフォード大学で分析した結果、土器作製年代は約5000年前で、このような円筒下層式土器が出土しているのは青森県周辺であるという。

つまり日本で作られた縄文式土器が何らかの理由でバヌアツに運び込まれたというのだ!また、南米エクアドルのバルディビアでも日本の縄文式土器そっくりのものが数多く発見されている。

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2007年01月09日

ピラミット パワー

1934年に古代遺跡研究家・酒井勝軍が著した「太古日本のピラミッド」には、次のような記述がある。「古代エジプトのピラミッドを作ったのは古代日本人であり、日本にも多数のピラミッドが存在する」。その奇想天外な理論が危険思想とされて、この本は発売禁止となった。しかしその後、日本各地でピラミッドと思われる山が次々に発見され、霊山として信仰を集めたという。

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2007年01月06日

【前九年の役】1

【鬼切部の戦い】
一〇〇〇年頃、陸奥の北部の郡は俘囚の長が郡司となって、各郡を治めていた。そのうちこのころ勢力を拡大し、奧六郡(胆沢、江刺、和賀、紫波、稗貫、岩手)の郡司を兼任していたのが安倍氏であった。

そして、その勢力が胆沢と磐井との境、衣川をいよいよ越えると、当時の陸奥守藤原登任は、「賦貢しない」とか「傭役を果たさない」など理由を付けて秋田城介平重成とともに兵を発する。

これを察知した安倍氏は兵を挙げ、鬼切部で官軍と衝突する。

 鬼切部の位置については宮城県鳴子の奧にある鬼首が有力な説だが、位置的に考えると、安倍氏が伊冶城で官軍の兵と衝突せずに、鬼首にたどり着くことは考えがたい。

二つ目の候補地として、岩手県一関の鬼越沢が考えられる。ここは衣川の支流真打川の上流に隣接しており、旧道もこの付近にある。


 この鬼切部の戦いに安倍氏は大勝利を治めた。これに驚いた朝廷は陸奥守兼鎮守府将軍に源頼義を選出し陸奥国府に向かった。ところが、この年、国母藤原彰子の大病治癒のため大赦令がでる。これにより、安倍頼良は大いに喜び自ら名を頼時と改め、服従の意を表した。


 普通八逆(謀反、謀大逆、謀叛、悪逆、不道、大不敬、不孝、不義)の罪はどんな大赦令が出ても許されることはない。このことから鬼切部の戦いは「反逆」ではなく、藤原登任が挑発したことによっておこった「私闘」だったと解釈される。

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2007年01月05日

アテルイ 2

エミシと呼ばれた人たちの中で、
王権に対する抵抗の意思をもっとも強く
発現させた一人に、北方の勇者アテルイがいます。

アテルイは8世紀末の東北古代史に登場する人物で、
胆沢地方(現在の岩手県奥州市)において、
垣武天皇の命を受けた征夷大将軍坂上田村麻呂を迎え撃ったエミシの武将です。

垣武は怨霊におびえ遷都を繰り返したことで有名ですが、
また、エミシ攻略に固執し執念を燃やした天皇でもありました。


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2007年01月04日

アテルイ

史料からみるアテルイ

アテルイ(? - 延暦21年旧8月13日(802年9月17日))は、平安時代初期の蝦夷の軍事指導者である。

789年に胆沢(岩手県奥州市水沢区)に侵攻した朝廷軍を撃退したが、坂上田村麻呂に敗れて降伏し、処刑された。

史料には「阿弖流爲」「阿弖利爲」とあり、それぞれ「あてるい」「あてりい」と読まれる。いずれが正しいか不明だが、現代には通常アテルイと呼ばれる。坂上田村麻呂伝説に現れる悪路王をアテルイだとする説もある。

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2006年12月29日

ムー大陸の諸説

日本人のムーへの傾倒ぶりは世界でも類のないものがある。
海洋地質学上から太平洋に大陸が沈んだとは考えられないという観点から、太平洋は大陸は存在しなかったが、ムー文化圏といったものが存在したというとらえ方が主流となっている。

数々の地震を予知したことで知られる海洋地質学専攻の木村政昭・琉球大学教授は、基本的に竹内氏の路線を推し進め、環太平洋文化圏(ムー文明)の中で実際に陥没した陸地があり、その幻のムー大陸そのものにあてはまるのが琉球古陸だとしている。
「ムー大陸は琉球にあった」
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2006年12月28日

ペトログラフの謎

世界最古の文字(シュメール文字)が、岩に彫りこまれているのをペトログラフと言います。
お隣の国中国から漢字を輸入するまで、日本の文化には文字は無かった事になっています。
世界で一番古い土器(焼き物)を持っていた日本に、文字は無かったのです?
文字の無かった日本に、世界最古の文字(ペトログラフ)が、あるのです。


中国の書物『魏志倭人伝』に書いてある女王卑弥呼が治めていた邪馬台国は、
どこに在ったのかも、まだ分かっていません。
それなのに、ある日突然、日本国(大和朝廷)が、誕生したのです。
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